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高知地方裁判所 昭和43年(ワ)136号 判決

原告 山崎真一

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 小松幸雄

被告 高知県

右代表者知事 溝淵増巳

右訴訟代理人弁護士 中平博

右指定代理人 明神慶昌

〈ほか二名〉

主文

被告は、原告山崎真一に対し、金一、一一四、六〇〇円およびこれに対する昭和四三年一月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告中山好幸に対し、金二五〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四三年一月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを七分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は原告ら各勝訴の部分にかぎりかりに執行することができる。

事実

第一、当事者双方の申立

原告ら訴訟代理人は、「被告は原告山崎真一に対し金二、九五四、二〇〇円、原告中山好幸に対し金五〇〇、〇〇〇円、および、これらに対する昭和四三年一月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、

被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、当事者双方の主張

一、請求原因

(一)  原告山崎は砂利の採取、販売を業としているもの、原告中山は右山崎に雇われ砂利運搬用大型ダンプカーの運転手をしているものである。

(二)  原告中山は、昭和四三年一月一七日午前一一時二〇分頃、高知県土佐郡土佐山村高川の道路(県道高知―本山線)の曲り角(幅員一〇メートル)において、自己が運転する砂利七・五トンを積載した大型ダンプカー(いすず四二年型TD五〇トラック、積載量三名、七、五〇〇キログラム、高一ら一六二一号、原告山崎所有)を方向転回しようとして、これを路肩の方に後退させていたところ、突如、路肩側道路部分(巾四メートル、長さ一〇メートル)が崩壊し、右ダンプカーは、運転手中山もろとも、約一七〇メートル下の谷底に転落し、これがため、右中山は入院加療二か月を要する脳震盪症、骨盤打撲症等の重傷を負い、右車は大破した。

(三)  前記道路崩壊の原因は、路肩下の石垣が既に老朽弱体化し、道路が通常備えるべき安定性を欠いていたにもかかわらず、道路管理者においてこれに対する何等の防災手段を講じていなかったこと、すなわち道路の管理に瑕疵が存したことによるものであるが、本件道路は県道で被告高知県の営造物であるから、国家賠償法第二条の規定により、被告高知県は、本件事故による原告らの損害を賠償する責任がある。

(四)  原告らは本件事故により次のとおり損害を受けた。

(1) 原告山崎

イ、前記大型ダンプカーの損害金二、六〇〇、〇〇〇円

右車は、原告山崎が昭和四二年一一月一四日新車として金二、七八〇、〇〇〇円で買受けたものであるが、本件事故直後の右車の査定額が金一八〇、〇〇〇円であるからそれを差引いた残額

ロ、右車の引揚費金三四七、七〇〇円

右車を転落場所から引揚げるに要した費用

ハ、砂利代金六、五〇〇円

右車に積載してあった砂利七・五トンの価額

(2) 原告中山

慰藉料金五〇〇、〇〇〇円

原告中山は、本件事故当時、原告山崎に自動車運転手として雇われ、月収金四五、〇〇〇円を得ていたが、本件事故により入院加療二か月を要する脳震盪症、顔面打撲挫滅創、右肘関節部打撲擦過創、骨盤打撲症の傷害を受けたが、これに対する精神的・肉体的苦痛に対する慰藉料の額は、少くとも金五〇〇、〇〇〇円を下らないと見るが至当である。

(五)  よって、原告らは被告に対し、それぞれ請求の趣旨記載のとおりの金員およびこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四三年一月一八日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する答弁

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実中、本件事故現場の道路巾員ならびに崩壊部分は否認し、原告中山がダンプカーに積載していた砂利の量ならびに負傷の部位程度は知らない、その余の事実は認める。

(三)  同(三)の事実は、本件道路が県道で公の営造物であることは認め、その余の事実は否認する。

すなわち、原告ら主張の道路崩壊現場は、県道高知―本山線のうち高知県土佐郡土佐山村高川字瀬戸二、二二二の一番地先(平石分岐点から約二・八キロメートルの地点、通称、高石垣)であるが、従来巾員三メートルであったのを貨物自動車など大型化により通行の不便かつ危険個所となったので、昭和三八年、カーブの山手側を約六メートル切取り拡巾を行なったものであるが、同所の石垣は、いわゆる空積のものであって、この工法は明治時代より認められているものである。しかも、右空積による本件事故現場の石垣は強じんで、過去において一度も崩壊したこともなく、道路の管理上危惧はなかった。

(四)  同(四)の事実は争う。

三、被告の主張

本件事故現場の道路の巾員は九・三〇メートルであり、当時貨物自動車などは、同所から約九〇メートル本山寄りのカーブで転回していたのであるが、原告中山好幸は、本件車輛を、事故現場路肩より〇・四六メートルの個所に後輪中心が位置するような方法で転回したものであるから(昭和三三年八月一日政令第二四四号道路構造令第二条の五、第一一条、昭和三六年七月一七日政令第二六五号車輛制限令第一〇条参照)、同原告にも過失がある。

四、右主張に対する認否

原告中山が、本件車輛を事故現場で転回したことは認め、その余の事実は争う。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、本件事故の発生

請求原因(一)の事実、および、同(二)の事実のうち、原告中山が、昭和四三年一月一七日午前一一時二〇分頃、高知県土佐郡土佐山村高川の道路(県道、高知―本山線)の曲り角(以下本件事故現場という)において、砂利を積載した大型ダンプカー(いすず四二年型TD五〇トラック、原告山崎所有)を方向転換しようとして、これを路肩の方に後退させていたところ、路肩側道路部分が崩壊し、右ダンプカーは、運転手もろとも約一七〇メートル下の谷底に転落し、よって原告中山が入院加療二か月を要する脳震盪症、骨盤打撲症等の傷害を負い、右車輛が大破したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、被告の責任

よって、本件事故現場の石垣崩壊の原因について審究する。

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

本件事故現場は、高知―本山線の高川公民館から約七〇メートル本山寄りの個所で、本山方面に向って左側(西側)は切り立ったほぼ垂直の岩壁となり、その右側(東側)は谷となって、下方を高川川が流れていること、

崩壊した同所石垣は古く、こけ等が生えているところ、右石垣の下部は、いわゆる空積みで勾配が二分五厘、上部は一分勾配で二メートル築き上げた構造であって、昭和三六年頃、右道路山側を切り取り道路の拡巾工事が行なわれた際、土砂等を同所から落した関係上、石垣に一部手直しがあったが、その個所が本件事故の際崩壊していること、

右崩壊個所の石垣は、道路にそい長さ約一〇メートル、奥行き約四・五メートルにわたり、別紙図面表示(ニ)点から谷側へ大きくずれたように崩壊しており、その南北には、未崩壊の石垣が残存しているが、右崩壊部分の石は残存せず、その下方には、損なわれないままの石垣があって、その法長は約四・五〇メートル、勾配は一:〇・二五である(もっとも、事故後、本件車輛を同所から引きあげている関係上、右崩壊部分には、事故前の状況に比し、若干の変更が加えられていることが考えられる)。

事故現場附近の道路の状況は、約一〇〇〇分の五〇の勾配率で本山寄りの方が上がっており、道路の両路肩間の巾員は別紙図面表示(イ)点から一〇メートル高知寄りの個所で六・〇五メートル、同点から一〇メートル本山寄りの個所で七・〇〇メートルであって、右(イ)点附近では山側から約一・五〇ないし二・〇〇メートルの道路上に、五ないし一〇センチメートルの高さで岩盤がごつごつと露出し、現場附近のカーブの路面は、車輛の通行による二条の輪跡(その中心は道路中央線よりやや山側とみられる)があってその路面は固く、その余の部分には山砂利が敷かれていて、その表面は山側から中央に高く、谷川へなだらかに傾斜していたこと、

本件車輛(いすず四二年型TD五〇トラック)は、全車長六・八五五メートル、前後軸間距離(ホイールベース)四・二〇メートル後車輪間隔(左右複輪タイヤー中点間の距離)一・八二メートル、全車巾二・四六メートル、後輪は複輪で四つであるほか車輛重量は六・五七〇キログラムであるが、事故当時右車輛には、約五立方メートル強の砂利(七、五〇〇キログラム)が積載されていたこと、

原告中山は、事故当時、右車輛を運転して、右事故現場から約一〇〇メートル高知寄りの道路拡張工事現場への砂利運搬に従事していたが、一旦同所工事現場を通過した後、本件事故現場で転回にかかったのであるが、その際、後部を谷側にして、前進・後退を繰り返えし、三回目の後退の後、ギャーを前進に切り替え発進しようとしたとき、後輪ががたんと落ち、そのまま、同所から転落しているが、同所には道路の中央線とほぼ直角に谷川へ向け砂利部分を横切ってスリップ痕が残されていること、

そして、鑑定人伊藤冨雄鑑定の結果によれば、本件路肩の下方に現存する石垣(空積型式)の法面勾配、隣接する非崩壊石垣の法面勾配、ならびに、道路の状況等によれば、本件事故現場の道路巾員の具体的数値としては、九・三〇メートルで、従って別紙図面(イ)、(ニ)点の延長上谷側へ二・六〇メートルの位置に、本件道路の路肩端があったとし、次に、本件後車軸にかかる重量は、計数上九、七五〇キログラムであるところ、本件道路が砂利道であることから考えられる路面の摩擦係数〇・三に従い、さらに、運転者の心理から前進時スリップが起るような発進の仕方をした可能性が認められる(もっとも、かかる発進につき運転者に瑕疵はない)ことから考えると、後輪四輪により路面にそい谷側へ向け加えられた力の値は現実に二、九二五キログラムとなるとし、さらに、本件車輛(前示のとおり砂利を積載)が存在し、前進・後退をする場合、安全率は〇・九八となり、路肩は滑り落ちる結果となり、以上の点から、本件路肩は、本件車輛の運行に支障を来さない安全性を有してはおらず、本件車輛の方向転換時に加えられた力により崩壊するに至ったものということができ、しかも、本件道路路肩の安全率は、車輛の前進・後退をしない場合(静かに車輛を置いた場合)においても、前記の場合に比し、僅かに大(一・一六)であるにすぎず、従って、本件路肩はもともと崩壊に対しては安全なものではなかったとしているほか、本件の場合のように、車輛後部を谷側へ向け、道路の中心線に対し直角に前進後退をするのでなく、道路中心線にほぼ平行に前進後退をし、谷側後輪中央が前示(ニ)点から(イ)、(ニ)の延長上谷側へ一・八四メートルの点にある場合には、本件路肩は崩壊しなかったものと考えられるとしていること、

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

以上の事実によれば、本件事故現場の道路巾員(両路肩間の距離)は、約九・三〇メートルであったこと、次いで、本件車輛は、右現場において、三回目の後退から発進しようとしたもので高知方面への発進の段階にあったものと推定されるから、事故現場に残された本件車輛のスリップ痕も、本件道路中央線と直角に従って約二・三六メートルにわたって残されていたと認めるのが相当である(しかも、砂利の状況から、右スリップ痕は、転落に際し前輪の一方によって生じたものと認むべきである)。そして、前示鑑定結果において、車輛の道路中央線に対する角度による崩壊の危険の限界として指示された、後輪についての路肩より〇・七六メートルの距離と、右スリップ痕の道路側起点から、本件車輛のホイールベースの長さ四・二〇メートルを考慮して求められる後輪の路肩からの距離が一致する事実、および、前示の路肩崩壊の範囲、その他石垣の状況ならびに後輪落下による瞬間的な衝撃(加重の増加)等を勘案すると、本件車輛後輪中央は、転落に際し、前示本件道路々肩から約〇・七六メートルの個所まで後退していたものと推認され(る。)≪証拠判断省略≫

しかして、本件道路が国家賠償法第二条の営造物であることは明らかであるところ、その設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常具有すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく国または公共団体の賠償責任についてはその過失の存在を必要としないと解するのが相当であるところ(最判昭和四五年八月二〇日、集二四巻九号一二六八頁)、前示事実関係に従えば、本件道路路肩の石垣については、その拡巾工事の際の再築造に瑕疵があるか、あるいは、その後における維持・保管に瑕疵があったと認められ、本件事故が、車輛転回の際に発生したものであっても、その重量に耐え得る安全性を備えていなかった以上、右結論を左右するものではない。してみると、被告は、同条第一項により、損害賠償の責に任ずべきものである。

三、原告らの損害

(一)  原告山崎真一の損害

本件車輛が原告の所有であることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、原告は、昭和四二年一一月一四日、右車輛(新車)を金二、七八〇、〇〇〇円で買入したが、本件事故で、これが大破し、その引揚げに金三四七、七〇〇円を要し、昭和四三年二月九日における右査定額が金一八〇、〇〇〇円であり、かつ、砂利五立方メートルの時価が金六、五〇〇円(一立方メートル金一、三〇〇円)であったことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。然しながら、右車輛引揚げに要した費用については、右査定額の限度で、その相当因果関係を認めるのが妥当であるから、その差額を前示車代金等から控除することとする。してみると、原告山崎の車輛等の損害は、金二、七八六、五〇〇円となる。

ところで、本件事故現場の道路等の状況は前示のとおりであり、≪証拠省略≫によれば、本件高知―本山線については大型車の通行制限はなく、また、とくに本件事故現場附近において転回を禁止する標識等は存在しないけれども、本件事故現場から約九〇メートル本山寄りには、カーブの極大点における両路肩間の距離が約一〇メートルのカーブがあって、当時、同所で方向転換をする車輛が多く、原告中山も事故当日、一度は同所で、方向を変えたことがあること、原告中山は、右事故現場より高知寄りの作業現場へ砂利を運搬していたところ、その都合上、同所で砂利の積み下ろしをせず、事故現場まで運転し、しかも、本件車輛の構造上(とくに、前輪より車輛前部までの長さと、後輪より車輛後部までの長さが殆んど変わらない)、運転席を谷側とする転回を試みる方が路肩との距離等の確認が可能であるのに、荷台後部を谷側とする転回を試みていることがそれぞれ認められるところであり、≪証拠省略≫によれば、本件事故現場の路肩が崩壊に対してさほど安全なものではなかったとの事実の予知については判断を避けているが、前示のとおり、石垣を築造している本件事故現場道路々肩から約〇・七六メートルの個所まで砂利を積載したトラック(総重量は一四、一三五キログラムに達する)を運転し、前進・後退を繰り返す場合には、当然後輪に相当な重力が加わり、しかも、後退等による加重が考えられるから、一応、かかる危険の予想される場所での転回を避けるか、あるいは、徐々に時間をかけて慎重に転回する等危険防止の措置をとることが可能であったというべきところ、原告中山はこれらを怠りこれが本件事故発生につながったものとみられるから、原告山崎の被用者である右中山の過失(約六〇パーセントと認める)を原告山崎の側の損害額の算定における減額事情とするのが相当である。してみると、原告山崎の損害は、金一、一一四、六〇〇円となる。

(二)  原告中山の慰藉料

≪証拠省略≫によれば、原告中山は、本件事故による骨盤打撲症等の傷害により、昭和四三年一月一七日から同年三月一八日まで、新松田愛宕病院へ入院し、その後、昭和四五年一月一二日頃まで通院治療を受けているが、右退院時頃、自律神経の異常がみられ、同医師としては昭和四三年九月頃から就業が可能であると判断していることが認められ、これに、前示本件事故の態様、同原告の過失、その他本件にあらわれた諸般の事情を勘案すると、原告中山の本件事故による精神的・肉体的苦痛は、金二五〇、〇〇〇円で慰藉されるのが相当であると認める。

四、結論

してみると、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告山崎真一において金一、一一四、六〇〇円およびこれに対する本件事故発生の日の翌日であることが明らかな昭和四三年一月一八日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告中山好幸において金二五〇、〇〇〇円およびこれに対する右同日から完済に至るまで右同様の割合による遅延損害金の各支払いを求める限度で理由があるから、これらをそれぞれ認容し、その余はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 稲垣喬)

〈以下省略〉

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